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September 2004

こうさぎ設置してみました

ほかのブログを参考にしながら、みようみまねで こうさぎちゃんを飼ってみました。
ココという名前を考えたけど、文字化けしたので、とりあえず、なにも入れんことにした。
いまのところ「世界」「だー!」「ボク」「た」と一言だけ叫んで、すぐゴロンとしています。
こまっちゃくれた言葉遣いだなあ。
このブログから言葉を覚えるから、しかたないのか。

雨の日の訪問者

突然、強い雨が降り出すとやってくるお馴染みさんが、我が家にはいます。
まず、一番多いのは 足長クモ君。
次は、ヤモリちゃん。
最後は、表向きは英会話教室の宣伝をして自転車で戸別訪問している 欧米系の青年2人組。
昆虫、ハ中類、人類、とさまざまな訪問者たちですが、みんな、共通の目的をもっています。
それは、雨宿り。

足長クモとヤモリは、浴室の喚起窓からコンニチワ。
人間は、玄関からやってきます。(当たり前)
また、我が家は、一戸建ての住宅に囲まれたマンションです。
近くで自転車こいでる時に、にわか雨にあったとき、とっさに雨宿りできる唯一の場所らしく、これまで2回ほど現れましたが、どちらも玄関チャイムが鳴ったのは、にわか雨がざーーっと降りだした数分後でした。
彼らは、白のカッターシャツに濃紺のタイに、濃いグレーのスラックスと、いまどき、珍しいくらい清潔感漂ういでたちです。
ビジュアル的には、「今を生きる Dead poet Society」のイーサン・ホークが玄関口に立っているかのようです。(ああっ、まぶちい)
「英会話教室をやっています。よかったら来てくださいね」
「これ、パンフレットです。よかった読んでください」
にっこりと受取ますが、アナタ様の笑顔で、私の魂の浄化はバッチグーです。

うずらちゃんのかくれんぼ

超有名なお子様の家庭ビデオのおかげで、初めてこの絵本を知りました。
もともと売れていたのが、ビデオ放映後、ますます売れているらしいです。
「うずら」って、あんがい人気者だったんですね~。

身辺整理の秋

トラックバックへの投稿です。「身辺整理の秋」といっても、男と女の関係が、絡みあってるワケじゃないです。野田恵ちゃんのように”片付けられない女”というワケでもありません。気分的には、「充電の秋」がピッタリなんだけど、これは、他の方がもう書いていたので。
春から新しいことに取り組んできました。手探りの中、「一日が36時間あったら、いいのに!」、「分身の術が使えたらいいのに!」と心の底から何度も願いながら、がんばってきたことの結果がでました。
成功点も、失敗点も、予想通り。
見込み違いの幸運てのは、なかったか。(ちぇ)

ともかくも、結果がでるまでの猶予期間は、終わってしまいました。
今は、結果を率直に評価して、秋からの計画をたてる時。
そう、この意味で「身辺整理の秋」です。
自転車操業と力ワザでカバーする生活を続けていたら、間違いなく体を壊すし。

いっしょにあるこうね

「いっしょにあるこうね」盲導犬コディ by篠原烏童を読みました。
(買ったのは、近所の行きつけの本屋です)
ラブラドールの子犬が生まれて、訓練をうけ、ユーザーと出会って盲導犬として生きてゆくさまが描かれています。
盲導犬をめぐるいろいろなことはモチロン、犬の習性、犬のしつけのヒントもありと、バランスのいい内容だと思います。
私は、篠原さんの描く動物の絵、とくに哺乳類の絵が大好きなのですが、しっぽフリフリのワンコの絵が満載で嬉しい。
篠原さんの描く動物で特に好きなのは、瞳なんですが、表紙の目は、まるでガラスでできているような瞳の質感が表現されていると思います。「う~ん、ステキ!」と見惚れています。
cody.jpeg
あとがきにでてくる、このマンガを描くきっかけとなったという「かのひと」とのエピソードもとても好きです。

丸の内OAZO・丸善のコミックコーナー

昨日、丸の内OAZOの丸善書店へいってきました。
ニュースで聞くところによりと、かなり大きいらしい。
それくらい大きければ、ちょいと珍しい品揃えもあるに違いない!
ということで、
いくえみ綾の何か、森永あいの「えみりにおまかせ」、「ろまんが」「うまんが」以外の新井理恵、篠原烏堂、うぐいす姉妹のしましまえぶりでぃの2巻のどれかを求めて向かいました。
着いたコミックコーナーは、出版社別の書棚で構成されていました。
個人的には、出版社と主要雑誌毎のほうが、探しやすいと思うんだけどな。
とにかく、目を皿にしてよーく探しましたが、お目当てリストは、全滅でした。
がっくし。

でも、ひとつ注目することがありました。
それは、
ボーイズラブと表示してある書棚に「ごくせん」があったこと。
なぜに!???
ドラマにもなったし、それほどマイナーなマンガじゃないと思うんだけど。
陳列するときに表紙をみて、疑問をもたなかったんだろうか。
だって、最新刊の表紙は、ゴツ顔の土佐犬ですよ!?
コミックコーナーの担当者は、あまりマンガのことを知らないのかなぁ?
全体的に売り場は大きいけど、可もなく不可もなく、売れ筋集めてます、という印象の品揃えでした。
どこででも手に入る本がほとんどだったので、私にとっては大型店の魅力はあまりないかも。

今回のことで、広さでは劣っても、行きつけの店が一番いい!!ということを確認しました。
行きつけの店は、やっと見つけた~!とか、こんなのあったんだ~!と思えるコミックが、最低でも1冊はあるし、人気作には立ち読み用の見本もあるんです。
幸せの青い鳥は、身近にいるものなんですね。

とびきりのごほうび

私にとって、とびきりのごほうびは、人からもらう感謝の言葉や笑顔かな。
にっこり「ありがと」と言われると、そのとたん、胸の奥から全身へ暖かいものがぱああーーーっと広がる感覚。
これ、最高のごほうびです。

先日、大きな荷物を抱え、チケット売り場の前を行きつ戻りつしている人がいた。
チケット買いながら、ちょっと見ていたら、大きな荷物をかかえて、さっき下ってきた階段を今度は上ろうか考えている様子。
いくらなんでも、あの大きな荷物で迷って、階段のぼったら、へとへとになるだろう。
ちょっと思いきって声をかけてみた。
「失礼ですが、迷ってらっしゃいます?」
相手の表情が安堵したように緩む。
ああ、よかった、声をかけてみて、と こちらもなんだか安心した。

そんなことを考えながらMTVジャパンをみていたら、槙原敬之が同じような気持ちを歌っていた。
あのビデオのイメージは、ベルリン天使の歌?

北朝鮮で大規模爆発

ふと、ヤフーニュースの項目をみたら、「北朝鮮の建国記念日に大規模な爆発…キノコ雲も」との見出し。
9日に北朝鮮で大きな爆発があったと韓国のニュースが伝えているそうだ。
爆発にともない、半径3.5キロから4キロのキノコ雲が観測されたという。
今年の4月にあった鉄道事故の際にも、北朝鮮から報告がされたのは、3日後であった。
今回も、北朝鮮からの発表はまだなく、爆発原因は今のところ不明である。
幸いなことに韓国の政府筋(South Korea's Unification Minister)は核兵器の可能性は否定しているという。(2004/09/12 BBC)
CNNは、中国との国境沿いには、核施設はないとも報じている。
しかし、土曜のニューヨークタイムズは、ブッシュ大統領と周辺は、北朝鮮が核実験の準備をしていたことを示唆する諜報報告を受け取ったとも伝えているという。(2004/09/12 CNN)

それでも、核兵器の開発疑惑のある同国については、今回の原因はとても気がかりである。
キノコ雲をおこすような爆発があったのだから、空中に放出された化学物質は、気流にのって間違いなく私達の頭上にやってくる。
次に、私の頭上に注ぐのは、どんな雨なのだろう。

宝の持ち腐れ

今週末のストは回避され、ゲームを楽しんだ人も多いことだろう。
しかし、球団がだした歩み寄りの条件をみると、「経営を存続させる基本的姿勢」は見えてこない。
パ・リーグについては忘れたのだが、セ・リーグは巨人、阪神、広島、以外の球団はどれも赤字経営だという。
テレビ放映権の一括管理方式や関連商品の売り上げを再分配などの選手会からの提案は、赤字球団にとっては、利益のあるものではないのであろうか。
多数決原理でいけば、黒字対赤字で3対3。
それが、ほとんど全会一致の結果というのは、自由な発言ができる雰囲気ではないのではなかろうか、といぶかっている。

それにしても、野球という娯楽産業の人気は、どんどん落ち込んでいる。
視聴率をとっても、最近の巨人戦は、1ケタ続きという。
このままでは、産業自体の存続も危惧される。

私は、サッカー、バレーに比べて野球を見る回数は、ほとんどない。
3時間もひとつのことに縛られるのはたるいし、いつも同じチームと顔ぶれで新鮮味にもかけるのが主な理由だ。

サッカーは、アジアカップ、ワールドカップなど、世界的なトーナメントで自国のチームが奮闘している姿には、声援を送っている。
他のスキー、陸上などほとんどのスポーツは、世界選手権がある。
日本の選手が、海外の有力選手と真剣に渡り合っている姿をみると、自然とガンバレ!という気持ちが湧いてくる。

野球は、韓国、台湾にもプロチームがある。
誰かも言っていたが、野球もアジア杯や日米杯を作って、海外とどんどん交流試合をやったらいいのに、もっと面白くなるのにと思う。
いつまでも企業スポーツ(実業団)スポーツとしての扱いしかできない現球団に任せていたのでは、宝の持ち腐れだ。

がんばれ、選手会!!

いい男がでていれば、見ることもある。私のスポーツ観戦の動機は、邪である。
そんな私だが、プロ野球選手会の決議には、心から感動している。
損害賠償も考えるというオーナー側からのけん制にもかかわらず、あれだけの内容をまとめあげ、1軍、2軍もともに全ての選手が結束したものだと、勇気と決断に拍手を送っている。

「ストも辞さず」という見出しが目をひく。
アメリカでは、大リーグでのストが長期化したことが、ファンを無視した行動として、ファン離れをひき起こしたといわれたことがあった。
その時の印象があるのか、マスコミの論調や街角インタビューでは、ファンの野球離れを懸念する論調もある。
しかし、野球離れは、すでに起こっているのではないだろうか。
一部の球団に人気選手が集中し、ゲーム全体がつまらなくなったという声を聞くようになって久しい。

近鉄の合併では、球団の苦しい台所事情があるという。
今回の合併問題から、プロ野球界の経営について、知ることができるようになった。
テレビ放映権の一括管理方式や関連商品の売り上げを再分配など他のプロスポーツには存在している全体としての互助システムが、日本のプロ野球にはないという。
いわば、巨人の一人勝ちを許す体制になっているらしい。
これまでに見直しを求める動きは、なかったのだろうか。
大将に逆らうことによって、村八分になることを恐れたのだろうか。

理由はどうあれ、大きな問題は、球団毎の独立採算制が、崖っぷちに立たされていることにあると思う。
(すでに崖っぷちから落ちてしまった球団もでているようだが。)
だとすれば、1リーグにしようが、巨人がパ・リーグに移ろうが、根本的な解決にはならない。
選手会の決議内容は、どれも球界再編のために長期的な視点にたっているものだと思う。
自らの年俸をあげろなどの、独善的な動機はまったく見られない。

選手生命は、限られている。
選手として活躍できる間は、球団の経営などのゴタゴタから離れて、自らの体調管理と試合に没頭したいのは山々であろう。
限られた期間を精一杯試合に没頭できるような環境をつくることは、球団経営者の責任ではないだろうか。
スポーツは、面白いほうがいい。
心からの応援を選手会へ送っている。
頑張っている姿を見るのは、勇気がでる。
明日への活力になる。

タイトル変えました

ロシアの学校占拠事件について、金曜の突入から、ほぼ毎日、国内と外国の報道に目を通している。
納得できる解説は、あちらこちらに分散していて、自分の頭のなかで、まとまりがつかない。
自分なりの意見は、他人と話し合うことで形成されるが、こうした硬めの話題は、人によって興味の程度が違うため、なかなかいい機会には恵まれないものだ。
ココログに申し込んで以来、なにを書くかが悩みだった。
今朝、雲の切れ間から陽がさしたように、
・文章にすることで、自分の言葉で考えることができる
・人に迷惑をかけない
・改まった場で、時事関連の質問を受けたときにも、あたふたせずに済む・・・かも!?

ベスラン第1学校での犠牲者は、死者300人以上、負傷者700名以上を数え、なお約200名が行方不明という悲惨な結果となっている。
一般人や子供を目標にした無差別攻撃は、その行動がいかなる理由や背景をもっていようと決して許すべきではない。
チェチェン紛争は、ロシアの国内問題と取り扱われたことから、大々的な報道はめったにされず、「忘れられた紛争」と呼ばれてきた。
私自身も、ロシアのチェチェン、スペインのバスクなどの民族紛争は、大規模な事件があったときだけ、紛争の存在を再認識するにとどまってきた。
しかし、8月後半からのチェチェン問題については、大きな違いがひとつある。
Black Widowと呼ばれるチェチェンの女性たちが、自爆の実行犯となっていることである。
独立闘争の中で夫、息子など家族を失った女性たちが、自ら志願して訓練を受け、実行犯となっているというのである。
私の記憶では、初めて女性の自爆犯が登場したのは、数年前のイスラエルとパレスチナ紛争であった。
18、19歳くらいのパレスチナ女性が、犯行予告ビデオをとったあとに、イスラエルのスーパー前で犯行を実行したのであった。
彼女のときは、世界は大きく驚き、心理学の専門家などが女性が実行犯になることの異常性を説明していた。
女性の自爆犯が生まれる背景には、社会全体の鬱屈した精神状態、抑圧された状況などが極限状態になっていることがあるという。
8月末からの一連の事件、航空機2機、モスクワの地下鉄駅での主要な実行者はすべて女性である。
最初のときは、あれほどに注目され、女性が実行することの異常性をあれほど大きく報道していたのに、現在、ほとんど触れられないのはなぜであろうか。
連日のように報道される事件の中で、私達の感覚が鈍磨されてしまったのだろうか。

9.11以来、民族紛争は「テロ」という言葉にひと括りされ、圧倒的な力による制圧が肯定される傾向にあるように思う。
力の行使には犠牲が伴い、ために怨恨を残す。
武力行使によって、最終的な解決は決してもたらされないと信ずる。
政治の担当者は、話し合いを尽くすよう求めていきたい。
そして私も、政治の行方を折りにふれて考える努力をしていきたい、と思う。

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